巻次 - 710頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 (一五) たずねおおせられて候う事、返す返すめでとう候う。まことの信心をえたる人は、すでに仏にならせ給うべき御みとなりておわしますゆえに、「如来とひとしき人」と『経』(華厳経)にとかれ候うなり。弥勒は、いまだ仏になりたまわねども、このたびかならずかならず仏になりたまうべきによりて、みろくをば、すでに弥勒仏と申し候うなり。その定に、真実信心をえたる人をば、「如来とひとし」とおおせられて候うなり。 又、承信房の、弥勒とひとしと候うも、ひが事には候わねども、他力によりて信をえて、よろこぶこころは如来とひとしと候うを、自力なりと候うらんは、いますこし、承信房の御こころのそこの、ゆきつかぬようにきこえ候うこそ、よくよく御あん候うべくや候うらん。自力のこころにて、わがみは如来とひとしと候うらんは、まことにあしゅう候うべく候う。他力の信心のゆえに、浄信房のよろこばせ給い候うらんは、なにかは自力にて候うべき。よくよく御はからい候うべし。このようは、この人々にくわしゅう申して候う。承信の御房、といまいらせさせ給うべく候う。あなかしこ、あなかしこ。十月二十一日 親鸞浄信御房御返事(一六) 他力のなかには自力ともうすことはそうろうとききそうらいき。他力のなかにまた他力ともうすことはききそうらわず。他力のなかに自力ともうすことは、雑行雑修・定心念仏・散心念仏 紙面画像を印刷 前のページ p710 次のページ 初版p579・580へ このページの先頭に戻る