巻次 - 718頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 梵語なり。これには無量寿ともいう、無碍光とももうし候う。梵漢ことなりといえども、心おなじく候うなり。 そもそも、覚信坊の事、ことにあわれにおぼえ、またとうとくもおぼえ候う。そのゆえは、信心たがわずしておわられて候う。またたびたび、信心ぞんじのよう、いかようにかと、たびたびもうし候いしかば、「当時までは、たがうべくも候わず。いよいよ信心のようはつよくぞんずる」よし候いき。のぼり候いしに、くにをたちてひといちともうししとき、やみいだして候いしかども、同行たちはかえれなんどもうし候いしかども、「死するほどのことならば、かえるとも死し、とどまるとも死し候わんず。また、やまいはやみ候わば、かえるともやみ、とどまるともやみ候わんず。おなじくは、みもとにてこそおわり候わばおわり候わめとぞんじて、まいりて候うなり」と、御ものがたり候いしなり。この御信心、まことにめでたくおぼえ候う。善導和尚の『釈』(散善義)の「二河の譬喩」におもいあわせられて、よにめでたくぞんじ、うらやましく候うなり。おわりのとき、「南無阿弥陀仏、南無無碍光如来、南無不可思議光如来」と、となえられて、てをくみてしずかにおわられて候いしなり。また、おくれさきだつためしは、あわれになげかしくおぼしめされ候うとも、さきだちて滅度にいたり候いぬれば、かならず最初引接のちかいをおこして、結縁・眷属・萌友をみちびくことにて候うなれば、しかるべくおなじ法文の門にいりて候えば、蓮位もたのもしくおぼえ候う。また、おやとなり、ことなるも、先世のち 紙面画像を印刷 前のページ p718 次のページ 初版p587へ このページの先頭に戻る