巻次 - 737頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 みえたり。建長三歳 辛亥 閏九月二十日 釈親鸞 七十九歳(二) かさまの念仏者の────『血脈文集』(一)と同じ。(三) 信心をえたるひとは────『御消息集(善性本)』(五)と同じ。(四) これは経の文なり。────『御消息集(善性本)』(六)と同じ。(五) 「獲」の字は、因位のときうるを「獲」という。「得」の字は、果位のときにいたりてうることを「得」というなり。「名」の字は、因位のときのなを「名」という。「号」の字は、果位のときのなを「号」という。 「自然」というは、「自」はおのずからという。行者のはからいにあらず。しからしむということばなり。「然」というは、しからしむということば、行者のはからいにあらず。如来のちかいにてあるがゆえに。「法爾」というは、この如来のおんちかいなるがゆえに、しからしむるを「法爾」という。法爾は、このおんちかいなりけるゆえに、すべて行者のはからいのなきをもって、この法のとくのゆえに、しからしむというなり。すべて、人のはじめてはからわざるなり。このゆえに、「他力には義なきを義とす」としるべしとなり。「自然」というは、もとよりしからしむということばなり。 弥陀仏の御ちかいの、もとより行者のはからいにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまいて、 紙面画像を印刷 前のページ p737 次のページ 初版p601・602へ このページの先頭に戻る