- あ
- あ
- あ
- ゴシック
- 明朝
- あ
- あ
- あ
(一一) 四月七日の御ふみ────『親鸞聖人御消息集(広本)』(一四)と同じ。
(一二) たずねおおせられ候う念仏の不審のこと。念仏往生と信ずるひとは、辺地の往生とてきらわれ候うらんこと、おおかたこころえがたく候う。そのゆえは、弥陀の本願ともうすは、名号をとなえんものをば極楽へむかえんとちかわせたまいたるを、ふかく信じてとなうるがめでたきことにて候うなり。信心ありとも、名号をとなえざらんは、詮なく候う。また、一向、名号をとなうとも、信心あさくは、往生しがたく候う。されば、念仏往生とふかく信じて、しかも名号をとなえんずるは、うたがいなき報土の往生にてあるべく候うなり。詮ずるところ、名号をとなうというとも、他力本願を信ぜざらんは、辺地にうまるべし。本願他力をふかく信ぜんともがらは、なにごとにかは辺地の往生にてそうろうべき。このようを、よくよく御こころえ候いて御念仏そうろうべし。
この身は、いまはとしきわまりてそうらえば、さだめてさきだちて往生しそうらわんずれば、浄土にて、かならずかならずまちまいらせそうろうべし。あなかしこ、あなかしこ。
七月十三日 親鸞
有阿弥陀仏 御返事
(一三) たずねおおせられてそうろう────『御消息集(善性本)』(四)と同じ。
(一四) 畏まりて申し候う。────『御消息集(善性本)』(一)の㋑㋺を一通とする。
(一五) たずねおおせられて────『親鸞聖人御消息集(広本)』(一五)と『御消息集(善性本)』(一)の㋩を
