巻次
-
748頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

候うべく候う。入道殿の御こころも、すこしもかわらせ給わず候えば、さきだちまいらせても、まちまいらせ候うべし。
 人々の御こころざし、たしかにたしかにたまわりて候う。なにごともなにごとも、いのちの候わんほどは申すべく候う。又、おおせをかぶるべく候う。この御ふみみまいらせ候うこそ、ことにあわれに候え。中々、申し候うもおろかなるように候う。又々、追って申し候うべく候う。あなかしこ、あなかしこ。

閏十月二十九日     親鸞(花押)

たかだの入道殿 御返事

(三) おおせられたる事、くわしくききてそうろう。なによりは、あいみんぼうとかやともうすなる人の、京よりふみをえたるとかやともうされそうろうなる、返す返すふしぎにそうろう。いまだ、かたちをもみず、ふみ一度もたまわりそうらわず、これよりももうすこともなきに、京よりふみをえたるともうすなる、あさましきことなり。
 又、慈信房(善鸞)のほうもんのよう、みょうもくをだにもきかず、しらぬことを、慈信一人に、よる親鸞がおしえたるなりと、人に慈信房もうされてそうろうとて、これにも常陸・下野の人々はみな、しんらんがそらごとをもうしたるよしを、もうしあわれてそうらえば、今は父子のぎはあるべからずそうろう。