巻次 - 795頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 とめましますところに、西意また証明の発言におよぶ。おそらくは、多宝証明の往事にあいおなじきものをや。この事、大師聖人の御とき、随分の面目たりき。説道も、涯分いにしえにはずべからずといえども、人師・戒師停止すべきよし、聖人の御前にして誓言発願おわりき。これによりて、檀越をへつらわず、その請におもむかずと云々 そのころ七条の源三中務丞が遺孫、次郎入道浄信、土木の大功をおえて、一宇の伽藍を造立して、供養のために唱導におもむきましますべきよしを屈請しもうすといえども、上人 善信 ついにもって固辞しおおせられて、かみ、くだんのおもむきをかたりおおせらる。そのとき上人 善信 権者にましますといえども、濁乱の凡夫に同じて、不浄説法のとが、おもきことをしめしましますものなり。(2)一 光明名号の因縁という事。 十方衆生のなかに、浄土教を信受する機あり、信受せざる機あり。いかんとならば、『大経』のなかにとくがごとく、過去の宿善あつきものは、今生にこの教におうて、まさに信楽す。宿福なきものは、この教にあうといえども、念持せざれば、またあわざるがごとし。「欲知過去因」の文のごとく、今生のありさまにて、宿善の有無あきらかにしりぬべし。しかるに、宿善開発する機のしるしには、善知識におうて開悟せらるるとき、一念疑惑を生ぜざるなり。その疑惑を生ぜざることは、光明の縁にあうゆえなり。もし光明の縁、もよおさずは、報土往生の真因たる名号の因をうべからず。いうこころは、十方世界を照曜する無碍光遍照の明朗なるにてらされて、無 紙面画像を印刷 前のページ p795 次のページ 初版p650・651へ このページの先頭に戻る