巻次 - 806頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 しかるに、この慢心を空聖人、権者として御覧ぜられければ、いまのごとくに御問答ありけるにや。かのひじり、わが弟子とすべき事、橋たてても、およびがたかりけりと、慢幢たちまちにくだけければ、師資の礼をなして、たちどころに二字をささげけり。 両三年ののち、あるとき、かご負かきおいて、聖光坊、聖人の御前へまいりて、「本国恋慕のこころざしあるによりて、鎮西下向つかまつるべし。いとまたまわるべし」と申す。すなわち御前をまかりたちて出門す。聖人のたまわく、「あたら修学者が、もとどりをきらでゆくはとよ」と。その御こえ、はるかにみみにいりけるにや、たちかえりて申していわく、「聖光は出家得度して、としひさし。しかるに本鳥をきらぬよし、おおせをこうぶる、もっとも不審。このおおせ、耳にとまるによりて、みちをゆくにあたわず。ことの次第うけたまわりわきまえんがために、かえりまいれり」と云々 そのとき聖人のたまわく、「法師には、みつのもとどりあり。いわゆる勝他・利養・名聞、これなり。この三箇年のあいだ源空がのぶるところの法文をしるしあつめて随身す。本国にくだりて人をしえたげんとす。これ勝他にあらずや。それにつきて、よき学生といわれんとおもう。これ名聞をねがうところなり。これによりて檀越をのぞむこと、詮ずる所、利養のためなり。このみつのもとどりをそりすてずは、法師といいがたし。仍って、さ申しつるなり」と云々 そのとき聖光房、改悔の色をあらわして、負のそこよりおさむるところの抄物どもをとりいでて、みなやきすてて、またいとまを申していでぬ。しかれども、その余残ありけるにや。ついにおおせをさしおきて、 紙面画像を印刷 前のページ p806 次のページ 初版p660・661へ このページの先頭に戻る