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いたりては、善導和尚の御こころによるに、すでに報身報土の廃立をもって規模とす。しかれば「観彼世界相 勝過三界道」(論)の論文をもっておもうに、三界の道に勝過せる報土にして正覚を成ずる弥陀如来のことをいうとき、世間浅近の事にもちいならいたる「世」の字をもって、いかでか義を成ぜらるべきや。この道理によりて、いまの一字を略せらるるかとみえたり。されば「彼仏今現在成仏」とつづけて、これを訓ずるに、「かの仏、いま現在して成仏したまえり」と訓ずれば、はるかにききよきなり。義理といい、文点といい、この一字、もっともあまれるか。この道理をもって、両祖の御相伝を推験して、八宗兼学の了然上人 ことに三論宗 に、いまの料簡を談話せしに、「浄土真宗におきてこの一義相伝なしといえども、この料簡もっとも同ずべし」と云々
(11)一 助業をなおかたわらにしまします事。
 鸞聖人、東国に御経回のとき、御風気とて三日三夜、ひきかずきて、水漿不通しましますことありき。つねのときのごとく、御腰膝をうたせらるることもなし。御煎物などいうこともなし。御看病の人をちかくよせらるる事もなし。三箇日と申すとき、「噫、いまはさてあらん」とおおせごとありて、御起居御平復、もとのごとし。そのとき恵信の御房 男女六人の君達の御母儀 たずねもうされていわく、「御風気とて両三日御寝のところに、いまはさてあらんと、おおせごとあること、なにごとぞや」と。聖人しめしましましてのたまわく、「われこの三箇年のあいだ、浄土の三部経をよむ事、おこたらず。おなじくは、千部よまばやとおもいて、これをはじむるところに、またおもうよう、