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「自信教人信 難中転更難」(往生礼讃)とみえたれば、みずからも信じ、ひとをおしえても信ぜしむるほかは、なにのつとめかあらんに、この三部経の部数をつむこと、われながらこころえられずと、おもいなりて、このことをよくよく案じさだめん料に、そのあいだはひきかずきてふしぬ。つねのやまいにあらざるほどに、いまはさてあらんと、いいつるなり」とおおせごとありき。わたくしにいわく、つらつらこの事を案ずるに、ひとの夢想のつげのごとく、観音の垂迹として、一向専念の一義を御弘通あること掲焉なり。
(12)一 聖人本地観音の事。
 下野国、さぬきというところにて恵信の御房の御夢想にいわく、「堂供養するとおぼしきところあり。試楽ゆゆしく厳重にとりおこなえるみぎりなり。ここに虚空に神社の鳥居のようなるすがたにて、木をよこたえたり。それに絵像の本尊二鋪かかりたり。一鋪は形体ましまさず。ただ金色の光明のみなり。いま一鋪は、ただしくその尊形あらわれまします。その形体ましまさざる本尊を、人ありて、また人に、「あれはなに仏にてましますぞや」と問う。ひとこたえていわく、「あれこそ大勢至菩薩にてましませ。すなわち源空聖人の御ことなり」と云々 また問うていわく、「いま一鋪の尊形あらわれたまうを、あれは又なに仏ぞや」と。人こたえていわく、「あれは大悲観世音菩薩にてましますなり。あれこそ善信の御房にてわたらせたまえ」と申すとおぼえて、夢さめおわりぬ」と云々 この事を聖人にかたり申さるるところに、「「そのことなり。大勢至菩薩は智恵をつかさどり