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 人間の八苦のなかに、さきにいうところの愛別離苦、これもっとも切なり。まず生死界の、すみはつべからざることわりをのべて、つぎに安養界の常住なるありさまをときて、うれえなげくばかりにて、うれえなげかぬ浄土をねがわずんば、未来もまた、かかる悲歎にあうべし。しかし「唯聞愁歎声」(定善義)の六道にわかれて、「入彼涅槃城」(同)の弥陀の浄土にもうでんにはと、こしらえおもむけば、闇冥の悲歎、ようやくにはれて、摂取の光益に、などか帰せざらん。つぎにかかるやからには、かなしみにかなしみをそうるようには、ゆめゆめとぶらうべからず。もししからば、とぶらいたるにはあらで、いよいよわびしめたるにてあるべし。「酒はこれ忘憂の名あり。これをすすめて、わらうほどになぐさめて、さるべし。さてこそとぶらいたるにてあれ」と、おおせありき。しるべし。
(19)一 如来の本願は、もと凡夫のためにして、聖人のためにあらざる事。
 本願寺の聖人(親鸞)、黒谷の先徳(法然)より御相承とて、如信上人、おおせられていわく、「世のひと、つねにおもえらく、悪人なおもって往生す、いわんや善人をやと。この事、とおくは弥陀の本願にそむき、ちかくは釈尊出世の金言に違せり。そのゆえは、五劫思惟の劬労、六度万行の堪忍、しかしながら、凡夫出要のためなり。まったく聖人のためにあらず。しかれば、凡夫、本願に乗じて報土に往生すべき正機なり。凡夫もし往生かたかるべくは、願、虚設なるべし、力、徒然なるべし。しかるに、願力あい加して、十方のために大饒益を成ず。これによりて、