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正覚をとなえて、いまに十劫なり。これを証する恒沙諸仏の証誠、あに無虚妄の説にあらずや。しかれば、御釈(玄義分)にも、「一切善悪凡夫得生者」と等、のたまえり。これも悪凡夫を本として、善凡夫をかたわらにかねたり。かるがゆえに、傍機たる善凡夫、なお往生せば、もっぱら正機たる悪凡夫、いかでか往生せざらん。しかれば、善人なおもって往生す、いかにいわんや悪人をやというべし」とおおせごとありき。
(20)一 つみは、五逆謗法うまるとしりて、しかも小罪もつくるべからずという事。
 おなじき聖人(親鸞)のおおせとて、先師信上人(如信)のおおせにいわく、「世の人つねにおもえらく、小罪なりとも、つみをおそれおもいて、とどめばやとおもわば、こころにまかせてとどめられ、善根は修し行ぜんとおもわば、たくわえられて、これをもって大益をもえ、出離の方法ともなりぬべしと。この条、真宗の肝要にそむき、先哲の口授に違せり。まず逆罪等をつくること、まったく諸宗のおきて、仏法の本意にあらず。しかれども、悪業の凡夫、過去の業因にひかれて、これらの重罪をおかす。これとどめがたく、伏しがたし。また小罪なりとも、おかすべからずといえば、凡夫、こころにまかせて、つみをばとどめえつべしときこゆ。しかれども、もとより罪体の凡夫、大小を論ぜず、三業みなつみにあらずということなし。しかるに小罪もおかすべからずといえば、あやまってもおかさば、往生すべからざるなりと、落居するか。この条、もっとも思択すべし。これもし、抑止門のこころか。抑止は釈尊の方便なり。真宗の落居は弥陀の本願にきわま