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をしめても、ことのわずらいありぬべからんには、あまたところにも道場をかまうべし。しからざらんにおいては、町のうち、さかいのあいだに、面々各々にこれをかまえて、なんの要かあらん。あやまってことしげくなりなば、その失ありぬべきものか。そのゆえは、「同一念仏無別道故」(論註)なれば、同行はたがいに四海のうちみな兄弟のむつびをなすべきに、かくのごとく嫌別隔略せば、おのおの確執のもとい、我慢の前相たるべきをや。この段、祖師の御門弟と号するともがらのなかに、当時さかんなりと云々 祖師聖人御在世のむかし、かつてかくのごとくはなはだしき御沙汰なしと、まのあたりうけたまわりしことなり。ただ、ことにより、便宜にしたがいてわずらいなきを本とすべし。いま謳歌の説においては、もっとも停止すべし。
(13)一 祖師聖人の御門弟と号するともがらのなかに、世・出世の二法について得分せよという名目を行住坐臥につかう、こころえがたき事。
 それ得分という畳字は、世俗よりおこれり。出世の法のなかに経論章疏をみるに、いまだこれなし。しかれども、おりにより、ときにしたがいて、ものをいわんときは、このことば出来せざるべきにあらず。しかるに、謳歌のごとくんば、造次顚沛、このことばをもって規模とすと云々 『七か条の御起請文』に、「念仏修行の道俗男女、卑劣のことわりをもって、なまじいに法門をのべば、智者にわらわれ、愚人をまよわすべし」と云々 かの先言をもっていまを案ずるに、すこぶるこのたぐいか。もっとも智者にわらわれぬべし。此くの如きのことば、もっとも頑魯なり。荒涼に