巻次 本 | 末 859頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 「皆得不退転 於阿耨多羅三藐三菩提」ととけるなり。「摂取不捨」というは、弥陀如来の光明のなかに念仏の衆生をおさめとりて、すてたまわずとなり。これすなわち、かならず浄土に生ずべきことわりなり。「不退転をう」というは、ながく三界六道にかえらずして、かならず無上菩提をうべきくらいにさだまるなり。浄土真要鈔 本大谷本願寺上人之御流之聖教也 本願寺住持存如(花押)浄土真要鈔 末 問うていわく、念仏の行者、一念の信心さだまるとき、あるいは「正定聚に住す」といい、あるいは「不退転をう」ということ、はなはだおもいがたし。そのゆえは、正定聚というは、かならず無上の仏果にいたるべきくらいにさだまるなり。不退転というは、ながく生死にかえらざる義をあらわすことばなり。そのことばことなりといえども、そのこころおなじかるべし。これみな浄土 紙面画像を印刷 前のページ p859 次のページ 初版p705・706へ このページの先頭に戻る