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「皆得不退転 於阿耨多羅三藐三菩提」ととけるなり。「摂取不捨」というは、弥陀如来の光明のなかに念仏の衆生をおさめとりて、すてたまわずとなり。これすなわち、かならず浄土に生ずべきことわりなり。「不退転をう」というは、ながく三界六道にかえらずして、かならず無上菩提をうべきくらいにさだまるなり。
浄土真要鈔 本
大谷本願寺上人之御流之聖教也 本願寺住持存如(花押)
浄土真要鈔 末
問うていわく、念仏の行者、一念の信心さだまるとき、あるいは「正定聚に住す」といい、あるいは「不退転をう」ということ、はなはだおもいがたし。そのゆえは、正定聚というは、かならず無上の仏果にいたるべきくらいにさだまるなり。不退転というは、ながく生死にかえらざる義をあらわすことばなり。そのことばことなりといえども、そのこころおなじかるべし。これみな浄土
