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ににうまれんとおもう、まことなる信心のおこるとき、弥陀如来は遍照の光明をもって、これをおさめとり、諸仏はこころをひとつにして、この信心を護念したまうがゆえに、一切の悪業煩悩にさえられず、この心すなわち不退にして、かならず往生をうるなり。これを「即得往生 住不退転」ととくなり。「すなわち往生をう」といえるは、やがて往生をうというなり。ただし、「即得往生 住不退転」といえる、浄土に往生して、不退をうべき義を遮せんとにはあらず。まさしく往生ののち、三不退をもえ、処不退にもかなわんことは、しかなり。処々の経釈、そのこころなきにあらず。与奪のこころあるべきなり。しかりといえども、いま「即得往生 住不退転」といえる本意には、証得往生現生不退の密益をときあらわすなり。これをもってわが流の極致とするなり。
 かるがゆえに、聖人、『教行証の文類』のなかに、処々にこの義をのべたまえり。かの『文類』の第二(行巻)にいわく、「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」(正信偈)といえり。こころは、「弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に、すなわちのとき、必定にいる、ただよくつねに如来のみなを称して、大悲弘誓の恩を報ずべし」となり。「すなわちのとき」というは、信心をうるときをさすなり。「必定にいる」というは、正定聚に住し、不退にかなうというこころなり。この凡夫の身ながら、かかるめでたき益をうることは、しかしながら弥陀如来の大悲願力のゆえなれば、つねにその名号をとなえてかの恩徳を報ずべしとすすめたまえり。