巻次 - 911頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 「印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機」というは、「印度・西天」というは、天竺のことなり。「中夏」というは唐土なり。「日域」というは日本のことなり。かの三国の祖師等、念仏の一行をすすめ、ことに釈尊出世の本懐は、ただ弥陀の本願をあまねくときあらわして、末世の凡夫の機に応じたることをあかしましますといえるこころなり。 「釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽」というは、この龍樹菩薩は、八宗の祖師、千部の論師なり。釈尊の滅後五百余歳に出世したまう。釈尊これをかねてしろしめして、『楞伽経』にときたまわく、「南天竺国に龍樹という比丘あるべし。よく有無の邪見を破して、大乗無上の法をときて、歓喜地を証して安楽に往生すべし」と、未来記したまえり。 「顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽」というは、かの龍樹の『十住毘婆娑論』(易行品)に念仏をほめたまうに、二種の道をたてたまうに、一つには難行道、二つには易行道なり。その難行道の修しがたきことをたとうるに、陸地のみちをあゆぶがごとしといえり。易行道の修しやすきことをたとうるに、みずのうえをふねにのりてゆくがごとしといえり。 「憶念弥陀仏本願 自然即時入必定」というは、本願力の不思議を憶念するひとは、おのずから必定にいるべきものなりといえるこころなり。 「唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩」というは、真実の信心を獲得せんひとは、行住座臥に 紙面画像を印刷 前のページ p911 次のページ 初版p752・753へ このページの先頭に戻る