巻次 第一帖 923頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 り。されば、この信をえたるくらいを、『経』(大経)には「即得往生住不退転」ととき、『釈』(論註)には「一念発起入正定之聚」ともいえり。これすなわち不来迎の談、平生業成の義なり。『和讃』(高僧和讃)にいわく、「弥陀の報土をねがうひと 外儀のすがたはことなりと 本願名号信受して 寤寐にわするることなかれ」といえり。「外儀のすがた」というは、在家・出家、男子・女人をえらばざるこころなり。つぎに、「本願名号信受して 寤寐にわするることなかれ」というは、かたちはいかようなりというとも、またつみは十悪五逆・謗法闡提のともがらなれども、回心懺悔して、ふかく、かかるあさましき機をすくいまします、弥陀如来の本願なりと信知して、ふたごころなく如来をたのむこころの、ねてもさめても憶念の心つねにして、わすれざるを、本願たのむ決定心をえたる信心の行人とはいうなり。さてこのうえには、たとい行住座臥に称名すとも、弥陀如来の御恩を報じもうす念仏なりとおもうべきなり。これを真実信心をえたる決定往生の行者とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。あつき日に ながるるあせは なみだかな かきおくふでの あとぞおかしき文明三年七月十八日(三) まず当流の安心のおもむきは、あながちに、わがこころのわろきをも、また妄念・妄執のこころのおこるをも、とどめよというにもあらず。ただあきないをもし奉公をもせよ、猟・すなどりをもせよ。かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどいぬるわれらごときのいたずらものを、たすけ 紙面画像を印刷 前のページ p923 次のページ 初版p761・762へ このページの先頭に戻る