巻次
第一帖
933頁
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ありつる御恩のかたじけなさよと、ふかくおもうべきなり。
 問うていわく、さて、かように弥陀如来の、われらごときのものをすくわんと、たびたび願をおこしたまえることのありがたさを、こころえわけまいらせそうらいぬるについて、なにとように機をもちて、弥陀をたのみまいらせそうらわんずるやらん。くわしくしめしたまうべきなり。
 こたえていわく、信心をとり弥陀をたのまんとおもいたまわば、まず人間はただゆめまぼろしのあいだのことなり、後生こそまことに永生の楽果なりとおもいとりて、人間は五十年百年のうちのたのしみなり、後生こそ一大事なりとおもいて、もろもろの雑行をこのむこころをすて、あるいはまた、もののいまわしくおもうこころをもすて、一心一向に弥陀をたのみたてまつりて、そのほか余の仏・菩薩・諸神等にもこころをかけずして、ただひとすじに弥陀に帰して、このたびの往生は治定なるべしとおもわば、そのありがたさのあまり、念仏をもうして、弥陀如来の、われらをたすけたまう御恩を報じたてまつるべきなり。これを信心をえたる多屋の坊主達の内方のすがたとはもうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

文明五年九月十一日

(一一) それおもんみれば、人間はただ電光朝露のゆめまぼろしのあいだのたのしみぞかし。たといまた栄花栄耀にふけりて、おもうさまのことなりというとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。もしただいまも、無常のかぜきたりてさそいなば、いかなる病苦にあいてか、むなしく