巻次 第一帖 937頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 り。あやまりて謗ずることなかれ。それみな一宗一宗のことなれば、わがたのまぬばかりにてこそあるべけれ。ことさら当流のなかにおいて、なにの分別もなきもの、他宗をそしること勿体なき次第なり。あいかまえて、あいかまえて、一所の坊主分たるひとは、この成敗をかたくいたすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。文明五年九月下旬(一五) 問うていわく、当流を、みな世間に流布して、一向宗となづけ候うは、いかようなる子細にて候うやらん。不審におぼえ候う。 答えていわく、あながちに、わが流を一向宗となのることは、別して祖師もさだめられず。おおよそ阿弥陀仏を一向にたのむによりて、みな人のもうしなすゆえなり。しかりといえども、経文に「一向専念無量寿仏」(大経)とときたまうゆえに、一向に無量寿仏を念ぜよといえるこころなるときは、一向宗ともうしたるも子細なし。さりながら開山は、この宗をば浄土真宗とこそさだめたまえり。されば、一向宗という名言は、さらに本宗よりもうさぬなりとしるべし。されば、自余の浄土宗は、もろもろの雑行をゆるす。わが聖人は雑行をえらびたまう。このゆえに真実報土の往生をとぐるなり。このいわれあるがゆえに、別して「真」の字をいれたまうなり。 またのたまわく、当宗をすでに浄土真宗となづけられ候うことは、分明にきこえぬ。しかるにこの宗体にて、在家のつみふかき悪逆の機なりというとも、弥陀の願力にすがりて、たやすく極 紙面画像を印刷 前のページ p937 次のページ 初版p774・775へ このページの先頭に戻る