巻次
第二帖
942頁
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あながちにこれをかろしむべからず。これまことに弥陀一仏の功徳のうちに、みな一切の諸神はこもれりとおもうべきものなり。総じて一切の諸法においてそしりをなすべからず。これをもって当流のおきてをよくまもれるひととなづくべし。されば聖人のいわく、「たとい牛ぬすびととはいわるとも、もしは後世者、もしは善人、もしは仏法者とみゆるようにふるまうべからず」(改邪鈔)とこそ、おおせられたり。このむねをよくよくこころえて、念仏をば修行すべきものなり。

文明第五、十二月十二日夜、之を書く。

(三) 夫れ、当流開山聖人のひろめたまうところの一流のなかにおいて、みな勧化をいたすに、その不同これあるあいだ、所詮向後は、当山多屋坊主已下そのほか一巻の聖教をよまんひとも、また来集の面々も、各々に当門下にその名をかけんともがらまでも、この三か条の篇目をもってこれを存知せしめて、自今已後、その成敗をいたすべきものなり。

一 諸法・諸宗ともにこれを誹謗すべからず。
一 諸神・諸仏・菩薩をかろしむべからず。
一 信心をとらしめて報土往生をとぐべき事。

 右、斯の三か条のむねをまもりて、ふかく心底にたくわえて、これをもって本とせざらんひとびとにおいては、この当山へ出入を停止すべきものなり。そもそも、さんぬる文明第三の暦、仲夏